世の中に耳の聞こえない人がいることは、昨今の手話ブームでよく知られるようにはなってきた。しかし、健聴者とは当然耳がよく聞こえる人であり、一方、聴覚障害者とは耳が聞こえない人であると簡単に分けて考えられてしまう風潮は一向に変わらないようである。「聞こえる」ことと「聞こえない」こととの間には多様な感覚の幅があり、むしろ、人は誰でも加齢、音響環境、心理状況などの条件に応じて聞くことに不自由を生じさせられるグラデーション(濃淡の階調)の中にあると考えなければならない。
補聴器を着けていればすべての聴覚障害者の耳は普通に聞こえているものだと誤解されてしまう問題がある。それは、手話を使うすべての聴覚障害者の耳は聞こえないものだと決めてかかられてしまう問題と同じ障害認識の誤りである。聴覚障害者の90%以上の耳には残存聴力があることを一般の人はあまりよく知らない。その残存聴力を、特にその聴覚障害者の人生のできるだけ早期に活用できたか否かが、その後の音声言語の発達に計り知れない影響を及ぼすことが分かっている。しかし同時に、聴覚障害教育に携わる教師や親に要請される専門性の中で、最も身につけにくい領域のlつに「補聴器」があることも事実である。聴覚活用の必要性を十分に感じながらも、補聴器に親しめなかったり、コミュニケーション学習に補聴器がうまく活用できない教師や親であっては子どもに申し訳がたたない。
電気的補聴器開発の歴史のはじまりは、アレキサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明した1876年であるといわれる。補聴器に限らず音声を伝えるために開発されたあらゆる機器の原理が電話にあるわけである。始めに耳の聞こえる人についてだけテレ(遠隔)コミュニケーション革命をもたらした電話が、その後100年以上を経て、 ようやく電話が使える聴覚障害者が育つテレコミュニケーション新時代を迎えることができたのも、ベルのお陰であろうと思われる。
聴覚障害者のテレコミュニケーションを可能にした要因には機器が進歩したという側面もあるが、さかのぼってベルが聾者でも音声でコミュニケーションがでさるようになること(当時は襲者はことばが話せないものと思われていた)を身をもって実践し、生涯を障害児の教師であり続けたことにもよる(ベルはアメリカ特殊教育学会の初代会長でもあった)。視話法を考案し発音指導に貢献したベルの父、聴覚障害者でありながらもコミュニケーション能力の高かったベルの母(残存聴力を活用してピアノの演奏もできた)、 そしてベルの教え子でもあり一生の伴侶であった聴覚障害者の妻メイベル。そうした背景から、健聴者とコミュニケーションできるようになることを確信したベルの聴覚障害教育の改革の熱意はこれからも引き継がれていくことであろう。