要約筆記等研究連絡会「まごのて」の由来

<1983.06.27に掲載された「新しい明日」第39号より全国最初の要約筆記サークル紹介から転載>
 名古屋市においてOHPによる要約筆記通訳の活動が組織的に行われるようになったのは昭和53年のことであり、「まごのて」の発足はこの時の活動に端を発しています。

 この年の11月、第一回全国難聴者研究大会が名古屋市内で開催され、その準備段階で名聴連(名古屋市聴覚障害者福祉連合会)難聴部の方々の呼びかけにより、それまで手話通訳のあい間にOHPによる筆記通訳を行なっていた手話サークルの人々や大学生が集まりました。そして約半年間、筆記練習を積み、略字、略語あるいは字の大きさ等を話し合い、大会へ臨みました。

 この大会ではOHP要約筆記通訳者の育成および派遣制度の一日も早い実現を、との話し合いが行なわれ、参加した筆記者はそれまでに増して要約筆記通訳の重要性を認識しました。このような盛り上がりを背景として、筆記者の中からこのままバラバラになるのではなく今後も一緒になって研究、活動を続けていこうとの声が出て、翌54年1月に「OHP要約筆記等研究連絡会(愛称・まごのて)」として正式にサークル活動を開始したのでした。愛称の「まごのて」の由来は「書く(掻く)ことが好きな人々の集まり」であること、また「かゆいところに手がとどく筆記をこころがける」ところからきています。

 その後OHPによる要約筆記通訳を必要とする聴覚障害者の活動の活発化にともない「まごのて」における要約筆記通訳活動もその量と範囲を広げ、昭和56年度には要約筆記依頼件数65件、翌57年度には54件に及びました。この中には映画、演劇の字幕としての筆記通訳、個人に対するノート筆記なども含まれていました。

 この間、名古屋市、愛知県内にいくつかのOHP要約筆記サークルが出来、また定期的に市や県の主催する要約筆記講座が開催されるようになりました。その意味では「まごのて」はこの地域の要約筆記活動の基礎作りに微力ながら役立てたのではないかと思っております。

 現在は会員数的30名(内筆記者約20名)で月2回の例会を開いています。「まごのて」では要約筆記者派遣の依頼受付けから、派遣、筆記とすべてをサークル活動の中で行なっているため、2時間の例会の半分近くをこれらの事務的処理に費やすことが多くなります。筆記技術の改良については例会等を通じて種々の工夫を重ねており、現在、今までのまとめとしての要約筆記テキストを作成しております。

 今後の問題としては、まず会員の減少、及び老齢化に伴う新会員の獲得があげられます。これには市や県の行なう要約筆記養成講座との関係あるいは聴覚障害者団体との関係をさらに検討していくことが必要と思われます。行政の立場での要約筆記者養成及び派遣制度の充実にともない、私的なサークルとしてのあり方は何らかの形で変化してゆくものと思います。

 種々の問題をかかえている「まごのて」ですが今後も発足当時の気持を忘れず活動を続けていきたいと思います。